兄弟姉妹や子供が命を危険にさらしている。

そのような時、命を捨てて助けに来てくれるのは肉親だけなんです。それは生き物の本能­なのかもしれない。

我々現代人は、特に戦後の都会人はその事をすっかり忘れてしまっているのです。

普段どんなに仲良く付き合っていても、いざ命が掛かると血を分け合った肉親とは違い、­他人は一目散にその場を去るのです。

逃げるだけでなく、できれば誰かが犠牲になってくれて、自分だけは助かりたいと計算す­るのが人間というものなのです。

それを伊豆大島の鮫事件で学びました。

「遠くの肉親より、近くの他人」などという言葉がありますが、それはお互いが良い環境­にいる時だけ。

いざとなると、命をかけてくれる他人はごく稀なんです。

ところが実際には、肉親程、付­き合いをなおざりにしているのが現代の風潮です。

肉親は血が繋がっているからと後回し­にしてしまうのです。

馬鹿な浅はかな風潮だと思います。

実は、普段から肉親こそ一番大切にしなければならないと思います。大島の千波(せんば­)の海の人食い鮫事件を想い出すごとにその認識を新たにするのです。

 

 

  私が育った伊豆大島の家は海沿いの絶壁の上にありました。絶壁の山道を20~30分かけて降りると「輪中(わなか)」という   海に出ます。夏休みのある日でした。我が家の親子全員と、お隣の山下さん、二村さん、金川さんらの子供たちと総勢2~13人位でその輪中の海に泳ぎに行ったのでした。

親父は海に潜って天草を採っていました。我が兄弟は長男、次男と弟と私でした。


  隣の山下さんの家の子供たちは2~3人、二村さんの家の子供達も3人位いたと思います。大型トラックのチューブを膨らませた浮き袋と筏(いかだ)に乗って、確か10数名の子供達で相当な沖まで出ていました。天草を採っている親父のところに近づいて行ったのでした。その時、大変な物に出くわしてしまったのです。一生忘れられない一大事です。


  私が最初に見つけたのですが、畳2~3畳位もある大鮫(オオザメ)が海底に張り付くようにして此方を睨んでいたのです。明らかに人喰いザメに見えました。私は大声で怒鳴りました。

“ サメだー、サメだー、人喰いザメだー、逃げろー、逃げろー。 ” 全員が一目散に岸に向かって逃げ出しました。

20~30メーターは浮き袋のタイヤにつかまって泳いでいる者もいました。


ところが、なにしろ浮き袋が邪魔をしてスピードが出ないのです。途中で浮き袋を捨ててクロールで逃げ始めたのでした。筏(いかだ)に乗っていた子供たちも、足手まといの筏を捨てて、やはりクロールで一目散に岸に向かいました。サメの発見場所は岸から50メーター位だったと思います。ところが、まだ小学校4年生だった私は、まともに泳げず、逃げ切れなかったのです。海上に捨ててある大きな真っ黒のトラックのチューブの浮き袋の上に載って  “ 助けてくれー、助けてくれー ”  と絶叫しました。


水に足をつけたなら即、その足が “ ガブリ ” ともってゆかれるだろうとの恐怖で体は石のように固まって動かなかったのです。仲間は年少の私を助けるどころか、捨てて全員一目散に岸に向かって泳いでいました。


   その時でした。海の沖の方から私の兄(次男の正夫、私は3男だ)と親父がクロールで一直線に私に向かって泳いで来るのでした。サメに襲われているのが分かったのでしょう。肉親の災難をほっておけなかったのです。その死に物狂いのクロールの速さは今でも目に浮かびます。目はウサギのように真っ赤に血走っていました。まるで東宝の映画で観た特攻隊の人間魚雷のようでした。そう、オリンピック選手のイアン・ ソープの様に見事なクロールでした。


弟や子供が命を危険にさらしている。そのような場合、やはり命を捨てて助けに来るのは肉親だけだと思います。生き物の本能なのかもしれない。普段どんなに仲良く付き合っていても、いざ命が掛かると他人は一目散にその場を去るのです。できれば誰かが犠牲になってくれて、俺だけは助かりたいと計算するのが人間というものだと思います。


何の因果だか知らないが、サメ事件だけではなく、私はこのような実体験を数回味わったことがあります。「 遠くの肉親より、近くの他人 」 などという言葉がありますが、それはお互いが良い環境にいる時だけであって、いざとなると命を張ってくれる他人はごく稀だと思います。


普段は肉親程、付き合いをなおざりにしているのが現代の風潮です。馬鹿な浅はかな風潮だと思います。肉親は血が繋がっているからと後回しにしてしまうのです。実は、普段から肉親こそ一番大切にしなければならないと思います。

大島の千波(せんば)の海の人食いサメに教えてもらった教訓です。