2014年10月29日 東京都下小中学校校長会での講演の風景です。テーマは《私が望む学校教育》でした。

今学校の教育改革の必要性が叫ばれています。その様な折、私はいくつかの都内の小中学校の道徳と進路指導の講師を依頼されて講演をやらせて頂いております。 この程、都下伊豆七島の小中学校の校長先生ら数十名様が集まって私の講演を聴いて下さいました。テーマは『私が望む学校教育』です。 このままクリックすればお聴きいただけます自分で言うのもなんですが、大変反響がありましたので、お聞きいただければ光栄です。

伊豆大島の岡田港です。こんな場所で毎日海を見つめながら育ちました。

大人になったら、遠くに見える日本本土で活躍したいなって夢見た若きを日を思い出します。

伊豆大島の我が家には電気も水道も燃料も無かった。毎日水汲みと焚き木拾いが男の子4人兄弟の役目だった。

貧乏な家庭だったが家族は愛情に溢れていた。

『おらさ東京さいぐだ!』の歌詞;

[一番]

ハァ~テレビもねぇ ラジオもねぇ  

自動車(くるま)もそれほど走ってねぇ    

ピアノもねぇ バーもねぇ

巡査(おまわり)毎日ぐーるぐる

ハイ朝起きで、

牛つれで 二時間ちょっとの散歩道

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俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ

東京へ出るだ 東京へ出だなら 

銭コァ貯めで 東京で馬車引くだ・・・ガー!

あーそーしましょ そーしましょったらそーしましょ ハァ!

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実を言うと、伊豆大島の我が村はこの吉幾三の歌よりもっと悲惨だったのです。

勿論、テレビ・ラジオ・車はないどころか、電気もねェ、それどころか水もなかったのです!

電気の代わりにランプを使い、水は毎日4キロも離れたところにある泥沼から一斗缶二本分を

天秤棒にぶる下げて汲んきていました。

 だから、幼少時の私はこの島からいち早く脱出したかった!